複雑さは負債、シンプルさは資産
ゼロ地点ログ 11 教訓は一度は効いた
Evernoteで情報をゴミにして、Notionでテンプレートを溜め込み、完璧なダッシュボードを作ろうとして何も生み出せなかった。
何度もの失敗の末に、
ようやくたどり着いた教訓だった。
SEとしては、知っていたはずの言葉だ。
設計でもプロジェクトでも、複雑にすれば後で必ず利子を払う。仕事では守れていた。
守れていなかったのは、自分のノートだけだった。
だからNotionを畳んでObsidianに移るとき、決めた。
今度こそ、シンプルに始める。
フォルダを減らした
Obsidianへ移行するとき、実際にフォルダを減らした。
箱を増やすから、迷子になる。箱を作り込むから、準備が目的になる。
それはもう、身をもって知っていた。教訓を、一度はちゃんと適用したのだ。
そして、こう考えた。
そもそも「箱」で管理が理由かも。
ノートは「属性」と「繋がり」で管理しよう。
フロントマターを設計した。
プロパティを決めて、type、tags、status。
ノート自身に属性を持たせて、リンクで繋げば、フォルダという檻から自由になれる。
前へ進みたい声は、乗り気だった。
属性なら、もっと柔軟になる。
フォルダは一つにしか入れられないが、属性なら何枚でも持たせられる。
設計次第で、いくらでも賢くできる——。
その「設計次第で」に、
迅の指紋がべったり付いていたことに、当時は気づいていない。
気づいたら増えていた
フロントマターが増えていた。
いつ増えたのか、正確には言えない。
一つひとつは、そのとき必要だと思って足した。
悪意も油断もなかったはずだ。ただ、気づいたら増えていた。
そして、コウモリが出た。
鳥の箱にも獣の箱にも入りそうな、あいつだ。
このノートのtypeはどれか。statusは何にするのか。どのタグを貼るのか。手が止まる。
フォルダの前で「どこに入れよう」
と迷っていたはずが、プロパティの前で「どれにしよう」と迷っている。
迷う場所が、引っ越しただけだった。
静葉の声がした。
——また同じことやってない?
形を変えてまた来た
過去に二回、絞り直した。
増えたプロパティを見直して、減らした。
しばらくして、また増えて、また減らした。そのたびに「これでシンプルになった」と思った。
そして今、三度目の「もっとシンプルでいいのでは」が来ている。
これを書いている今、まさにその途中にいる。
複雑さは負債。
知っている。
仕事で長年守ってきた、身に染みているはずの言葉だ。フォルダは減らせた。教訓は、確かに一度は効いた。
でも、複雑さは消えていなかった。
フォルダからフロントマターへ、住所を変えて戻ってきただけだった。
「二回絞り直したから、次は大丈夫」とは、もう書けない。二回絞り直して、それでも三度目が来ているのが、今の実態だからだ。
かといって「同じ過ちを繰り返す駄目な自分」とも、少し違う気がしている。
教訓はある。でも・・・
二十年前より早く気づけているのかは分からない。
ただ少なくとも、今回は増えている最中に「また来たな」と観測できてはいる。
知っていることと、身についていることは、別の話らしい。
教訓は頭にある。手が、守れていない。
知識と習慣のあいだに、何かある。名前はまだ付けられない。それが、今の地面だ。
教訓は、一度覚えれば終わりじゃないらしい。
同じ景色の中で、何度も思い出し直すものなのかもしれない。


